マルッティ・ポウッカ(Martti Poukka)牧師様は、映画のロケ地トゥルヴァー(Tyrvää)にほど近いヴェシラハティ(Vesilahti)のご出身です。どちらもタンペレ(Tampere)近郊の町です。
1984年に牧師になり、1989年から95年まで宣教師として日本に滞在されました。一旦帰国されて教会音楽奏者や職場カウンセラーの資格を取得して実践された後、2010年9月から再び来日され、スオミ・キリスト教会(Suomi Kirkko)にいらっしゃいます。
牧師様は、まるで教会で説教をなさるように、讃美歌から始められました。
- フィンランドの讃美歌341番 "Kiitos sulle, Jumalani(神よ、あなたに感謝します)" フルートによる演奏
これは、当協会の2010年2月例会でも紹介された、オスカル・メリカント(Oskar Merikanto)の、1923年の作品です。
- フィンランドの讃美歌382番 "Sinuhun turvaan Jumala(神よ、あなたのご加護を)" ご自身による歌
牧師様がお生まれになったヴェシラハティは、人口4千人の町です。トゥルヴァーと全く同じような風景が広がっていました。子供の頃から森がお好きで、森を歩くと心が洗われたそうです。近郊の教会で説教や演奏をされたご経験もあり、映画の舞台となった風景はなじみ深いものだそうです。そして、このような自然に囲まれた教会にいると、神がすぐ近くに感じられるそうです。
牧師様は、映画をご覧になって感心なさった点として、二つ挙げられました。
- ヤコブ牧師は人生の中で多くの苦しみを受けたのに、神への信頼がある(これは讃美歌382番で表現される)
- 生活が苦しくても、神への感謝の心を持っている(これは、讃美歌341番で表現される)
もしヤコブ牧師自身が映画を観て、映画にふさわしい讃美歌を選ぶとしたら、彼も同じ曲を選ぶだろうと感じるそうです。ヤコブ牧師の心には信頼と感謝があり、その心はフィンランドの自然の中で育まれたと締めくくられました。
お話が終わった後で、私がどうしてもお聞きしたかった点について、質問させていただきました。
映画は、現代の心の問題を扱いながら、同時に宗教的な要素を強く持っています。背景には美しくて静かに佇むフィンランドの自然があり、その中で最後に一種の奇蹟が起こります。
私が残念だと思うのは、原題では "Postia pappi Jaakobille(英語でも Letters to Father Jakob)" となっているのに、日本語のタイトルから「牧師」が抜け落ちてしまっている点です。このことが、映画の宗教的な要素を弱めてしまい、映画への理解を阻害してしまうのではないかと考えたからです。
ポウッカ牧師様も同じように感じられたそうで、ただ、映画のタイトルとしては短くせざるを得なかったのだろうということでした。確かに、それは私にも理解できます。
ポウッカ牧師様とお話していたら、映画のタイトルが「ヤコブ『牧師』への手紙」であることは重要ですが、仮にそうでなかったとしても、観客は十分に賢く、自分で『牧師』という言葉を補うような気がしてきました。
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